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査読とは(8) ~読者、そしておわりに~ [ 連載 Old..]

連載の最後に、論文公表における読者の役割を考えてみよう。「読者?論文を読むだけでしょ?」まあ確かにそうなのだが、読者は論文の正当性のチェックの役割も担っているのだ。

前回までに述べたように、投稿論文が学術誌に掲載可か否かの判断は、査読者・編集者といった複数の専門家の意見の集合体である。従って、学術誌に掲載された論文の内容はそれほど間違ったものではない。そうはいっても僅か数名で論文の価値をチェックしているのである。査読者も毎回毎回、投稿論文中の実験や観測を自前で追試しているわけではない。間違った判断をすることもありうる。

また科学や技術の常識は時として大きく覆されることがある。査読者や編集者も所詮はそれまでの常識の枠の中で判断している。それを大きく越える斬新な内容の投稿論文が(のちにそれは部分的には間違いであると分かったとしても)学術誌に掲載されることはありうる。その当時は真実と思えることも時がたてば嘘(=間違い)だった、とは科学の歴史そのものである。真実と嘘の境は科学最先端では紙一重なのである。ある研究者はそれを例えて、「永遠にばれない嘘は真実である」といった。また「嘘が10年ばれなければ一流の研究者だ」とも。嘘をつくことを奨励しているわけではない。あくまでジョークであり、例え話だ。

さて、やっと読者の出番である。学術誌に掲載された論文を読んだ読者が「おかしい」「不明瞭だ」と思う点があれば、それを学術誌に「論評(英語ではComment)」として投稿できるのである。対象論文の著者はそれに対する返答(英語ではReply)を書かねばならない。これを誌上で同時に公開するのである。読者はそれを読んで、どちらの言い分が正しいかを判断する。あるいはそのComment & Replyに対して別の読者がさらにCommentを寄せる場合もあるだろう。こうして学術誌上で議論を進めるのである。時間はかかるが、論文の真偽については白黒はっきりとするわけだ。ただ日本の学術誌上では、こういった誌上討論はあまり盛んではなさそうだ。海外の学術誌ではしょちゅうである。真偽についての詰めが甘いあたりに、日本の科学技術の伸び悩みの一因があるのかもしれない。

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