明日の神話 [▼研究実況 Now!]
今日はシュルレアリスム展にいった。
(国立新美術館)
昨日の岡本太郎展の流れで、
画家はどんな風に世間の常識と戦うのかなぁ
どんな熱い思いを作品に込めるのかなぁ
と楽しみにして見に行ったのだけれども。
どうも展覧会の趣旨は全く違ったようで、
美術の授業のような構成。とても勉強にはなったのだが、
技法うんぬんや歴史よりももっと違うことを知りたかったなぁ。
自動記述や「甘美な死骸」などは確かに新しいクールな
表現技法だったかもしれないが、そこまで意識の中の無意識に
フォーカスしてしまうのならば、そこに絵画はあるのだろうか?
コンピュータが絵を描いているのと同じでは?と思っちゃった。
あるいはこれこそシュルレアリスム、無意識の中の意識なんだろうか?
哲学的な問いかけと歩きまわりで疲れた展覧会場をあとにして、
渋谷駅に岡本太郎の壁画「明日の神話」を見に行った。
やっぱ私にはこの方がいいわ。
水爆、第五福竜丸、しかし明るい色調。
焼かれる骸骨は、なぜか死ではなく再生を感じさせる。
シュルレアリスム展はどちらかというと破壊。破滅を感じさせる。
岡本太郎がいま流行っているのは、彼の醸し出す、
回帰や再生のイメージがいまの日本に必要だからかもしれないな
などと思った。
しかし「神話」なのに「過去」ではなく「明日」って、クールだ。
(国立新美術館)
昨日の岡本太郎展の流れで、
画家はどんな風に世間の常識と戦うのかなぁ
どんな熱い思いを作品に込めるのかなぁ
と楽しみにして見に行ったのだけれども。
どうも展覧会の趣旨は全く違ったようで、
美術の授業のような構成。とても勉強にはなったのだが、
技法うんぬんや歴史よりももっと違うことを知りたかったなぁ。
自動記述や「甘美な死骸」などは確かに新しいクールな
表現技法だったかもしれないが、そこまで意識の中の無意識に
フォーカスしてしまうのならば、そこに絵画はあるのだろうか?
コンピュータが絵を描いているのと同じでは?と思っちゃった。
あるいはこれこそシュルレアリスム、無意識の中の意識なんだろうか?
哲学的な問いかけと歩きまわりで疲れた展覧会場をあとにして、
渋谷駅に岡本太郎の壁画「明日の神話」を見に行った。
やっぱ私にはこの方がいいわ。
水爆、第五福竜丸、しかし明るい色調。
焼かれる骸骨は、なぜか死ではなく再生を感じさせる。
シュルレアリスム展はどちらかというと破壊。破滅を感じさせる。
岡本太郎がいま流行っているのは、彼の醸し出す、
回帰や再生のイメージがいまの日本に必要だからかもしれないな
などと思った。
しかし「神話」なのに「過去」ではなく「明日」って、クールだ。