さらば!かいよう [▼研究実況 Now!]
今年も一年が終わろうとしている。
つい今しがた、紅白歌合戦みながら、年越しそば食べたよ。
ザ、大晦日!
この一年いろいろあった。論文を書いたし、受理もされた。船にも乗ったし、
研究室を移ったりもした。このブログも始めてから10年を越えた。
しかしその中でも思い出ぶかいのは、つい先日の出来事。
調査船「かいよう」を見送ったことだ。
これが調査船「かいよう」。海洋研究開発機構(JAMSTEC)の船だ。
1985年に建造された調査船だ。30歳を迎える今年、引退となった。
●海洋調査船「かいよう」および海洋調査船「なつしま」の運用停止について
http://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20151217/
※このブログでも少し話題にしました。
(http://goto33.blog.so-net.ne.jp/2015-06-10)
調査船「なつしま」も引退するが、「かいよう」はそれより一足早く、12月に任務を終えた。
「かいよう」の最大の特徴は、双胴船であることだ。
特徴的なバックショット。
船体は左右に分かれていて、その間を広い甲板がつないでいる。
この船に私自身 なんどもお世話になった。船の特殊性のためだろうか?
他船ではやったことがない、新しい(やっかいな)試みをたくさんやらせていただいた。
12月中頃、その「かいよう」とのお別れ会がJAMSTECの専用岸壁で行われた。
船橋(ブリッジ)の操舵輪。
そのすぐ横の、機関制御パネル。その向こうには船長の席があり、
名残を惜しむ方々が、代わる代わる記念撮影をされていた。
ある方は、この船を「いろいろなミッションに中途半端に従事させられた船」と評していた。
そのとおり。ある時は海中居住実験計画の母船、ある時は無人探査機の母船、
はたまた地下探査に活躍、あるいは海洋観測ブイの設置に奔走し、さらに海底ケーブル
ネットワークの構築にも活躍。その多岐にわたる活躍は枚挙に暇がないが、
言い換えればどれも中途半端だった。
「かいよう」船内の食堂。ここで正月を迎えたこともあったっけ。
なぜ「かいよう」はそんなに中途半端にいろいろやらされたのか?
「かいよう」以外の船は、JAMSTEC以外の研究機関にもシップタイムが公開されて
いる。例えば有人潜水調査船「しんかい6500」の母船「よこすか」は、国内の様々な
研究機関が提案する研究計画に従って、(JAMSTEC以外の研究者を乗せて)
海底の諸調査を実施してきた。
一方、「かいよう」はJAMSTEC以外の調査研究を支えることはほとんどなく、
JAMSTECのミッションをひとえに背負ってきた。ということは、「かいよう」が
中途半端だったのは、JAMSTECの研究が中途半端であったということか?
「かいよう」のマストと沈む夕日。
そうかもしれない。
私もJAMSTECの一人だった。この船にはお世話になったが、もっといろいろ
働いてもらえたはずだ。この船で行った諸観測で得たデータは論文になっては
いるが、もっともっとすばらしい研究成果にできたかもしれない。そしたら、
「かいよう」の後継調査船も「かいよう」のような双胴船になったかもしれない。
(実際は「かいよう」の血は後継船である「かいめい」には受け継がれなかった)
…すまない…
夕日に染まる富士山も、「かいよう」から見ることができた。
「かいよう」はいま頃は香川県のドックにいる。
ドックに係留されたまま、スクラップになる日を待っている。
「かいよう」に続いて、調査船「なつしま」も年度内に引退する。
そしていずれは「かいれい」や「よこすか」といった調査船たちも引退をしていく。
彼女たちをもっと気持ちよく送り出せるよう、研究者としての精進が必要だと痛感した。
なお、前述で「かいようは中途半端な船だった」と話された方(某Mさん)に、当方から
「かいようをそんな可哀想な船にしたのは私達ではないか?」と申し上げた。すると
Mさんいわく「私は中途半端だとは言ったが、可哀想だとは言っていない」。
なるほど、そうだ。調査船「かいよう」は可哀想な船ではない。
とても立派な船であった。
その証拠、この「かいよう」のお別れ会は内輪の会(口コミ)であったにも関わらず、
100名を越える技術者・研究者など関係者が集まった。久々に合う人も多く、
互いに互いを懐かしむとともに、みなさんが「かいよう」に感謝していた。
” ありがとう、「かいよう」。お疲れ様。またどこかで会おう” と。
気づくと、すっかり夜も更けていた。
「かいよう」はこの数日後、最後の航海(香川のドックへの回航)に出発した。
今年一年を象徴する出来事であった。
私はこれでも頑張って研究しているつもりだ。だが、全然足りない。
もっともっともっと頑張って、研究し、教育し、調査成果を宣伝せねばならない。
来年はさらに忙しい一年になりそうだ。
そんなわけで、今年一年 お世話になりました。
サボり気味のブログでしたが、来年はもうちょっと更新していきます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
みなさまも良い年の瀬、そして新しい年を迎えられますように。
つい今しがた、紅白歌合戦みながら、年越しそば食べたよ。
ザ、大晦日!
この一年いろいろあった。論文を書いたし、受理もされた。船にも乗ったし、
研究室を移ったりもした。このブログも始めてから10年を越えた。
しかしその中でも思い出ぶかいのは、つい先日の出来事。
調査船「かいよう」を見送ったことだ。
これが調査船「かいよう」。海洋研究開発機構(JAMSTEC)の船だ。
1985年に建造された調査船だ。30歳を迎える今年、引退となった。
●海洋調査船「かいよう」および海洋調査船「なつしま」の運用停止について
http://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20151217/
※このブログでも少し話題にしました。
(http://goto33.blog.so-net.ne.jp/2015-06-10)
調査船「なつしま」も引退するが、「かいよう」はそれより一足早く、12月に任務を終えた。
「かいよう」の最大の特徴は、双胴船であることだ。
特徴的なバックショット。
船体は左右に分かれていて、その間を広い甲板がつないでいる。
この船に私自身 なんどもお世話になった。船の特殊性のためだろうか?
他船ではやったことがない、新しい(やっかいな)試みをたくさんやらせていただいた。
12月中頃、その「かいよう」とのお別れ会がJAMSTECの専用岸壁で行われた。
船橋(ブリッジ)の操舵輪。
そのすぐ横の、機関制御パネル。その向こうには船長の席があり、
名残を惜しむ方々が、代わる代わる記念撮影をされていた。
ある方は、この船を「いろいろなミッションに中途半端に従事させられた船」と評していた。
そのとおり。ある時は海中居住実験計画の母船、ある時は無人探査機の母船、
はたまた地下探査に活躍、あるいは海洋観測ブイの設置に奔走し、さらに海底ケーブル
ネットワークの構築にも活躍。その多岐にわたる活躍は枚挙に暇がないが、
言い換えればどれも中途半端だった。
「かいよう」船内の食堂。ここで正月を迎えたこともあったっけ。
なぜ「かいよう」はそんなに中途半端にいろいろやらされたのか?
「かいよう」以外の船は、JAMSTEC以外の研究機関にもシップタイムが公開されて
いる。例えば有人潜水調査船「しんかい6500」の母船「よこすか」は、国内の様々な
研究機関が提案する研究計画に従って、(JAMSTEC以外の研究者を乗せて)
海底の諸調査を実施してきた。
一方、「かいよう」はJAMSTEC以外の調査研究を支えることはほとんどなく、
JAMSTECのミッションをひとえに背負ってきた。ということは、「かいよう」が
中途半端だったのは、JAMSTECの研究が中途半端であったということか?
「かいよう」のマストと沈む夕日。
そうかもしれない。
私もJAMSTECの一人だった。この船にはお世話になったが、もっといろいろ
働いてもらえたはずだ。この船で行った諸観測で得たデータは論文になっては
いるが、もっともっとすばらしい研究成果にできたかもしれない。そしたら、
「かいよう」の後継調査船も「かいよう」のような双胴船になったかもしれない。
(実際は「かいよう」の血は後継船である「かいめい」には受け継がれなかった)
…すまない…
夕日に染まる富士山も、「かいよう」から見ることができた。
「かいよう」はいま頃は香川県のドックにいる。
ドックに係留されたまま、スクラップになる日を待っている。
「かいよう」に続いて、調査船「なつしま」も年度内に引退する。
そしていずれは「かいれい」や「よこすか」といった調査船たちも引退をしていく。
彼女たちをもっと気持ちよく送り出せるよう、研究者としての精進が必要だと痛感した。
なお、前述で「かいようは中途半端な船だった」と話された方(某Mさん)に、当方から
「かいようをそんな可哀想な船にしたのは私達ではないか?」と申し上げた。すると
Mさんいわく「私は中途半端だとは言ったが、可哀想だとは言っていない」。
なるほど、そうだ。調査船「かいよう」は可哀想な船ではない。
とても立派な船であった。
その証拠、この「かいよう」のお別れ会は内輪の会(口コミ)であったにも関わらず、
100名を越える技術者・研究者など関係者が集まった。久々に合う人も多く、
互いに互いを懐かしむとともに、みなさんが「かいよう」に感謝していた。
” ありがとう、「かいよう」。お疲れ様。またどこかで会おう” と。
気づくと、すっかり夜も更けていた。
「かいよう」はこの数日後、最後の航海(香川のドックへの回航)に出発した。
今年一年を象徴する出来事であった。
私はこれでも頑張って研究しているつもりだ。だが、全然足りない。
もっともっともっと頑張って、研究し、教育し、調査成果を宣伝せねばならない。
来年はさらに忙しい一年になりそうだ。
そんなわけで、今年一年 お世話になりました。
サボり気味のブログでしたが、来年はもうちょっと更新していきます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
みなさまも良い年の瀬、そして新しい年を迎えられますように。
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