東北地方地震…京都に帰りつきました [ 知識ゼロから学ぶ地底のふしぎ]
昨日、観測史上最大、いや日本の歴史上最大ではないかと思われる(※)
M(マグニチュード)8.8の「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。
(※参照 → http://ja.wikipedia.org/wiki/地震の年表)
私はちょうど東京にいて、地下鉄の中で揺れを感じました。
以下は備忘録です。箇条書きにします。
・まず地下鉄車内に聞きなれない機械音(女性の声)で「急停車します、ご注意ください」
とアナウンスが2回あり、ついで車掌さんの声で同内容が繰り返されたあと、
電車はすーっと停車。
・そして揺れが来ました。どうやら緊急地震速報で地下鉄が自動停車したようでした。
・地下鉄車内は長く、ゆっくり大きく揺れました。
車内で「怖い」とつぶやく声も聞こえました。
・幸い、車内はガラ空きだったので、乗客は皆、座ったまま
揺れがおさまるのを待ちました。
・20分くらいそのまま停車していましたが、停電もなく、車掌のアナウンスも
落ちついてました。
・「地下鉄車内が一番安全ですので外に出ないでください」とのアナウンスも。
・やがて地下鉄は今まで見たことがないほどゆっくりと、隣の駅まで移動しました。
歩くくらいの速度。駅につきましたが「すべての車両が駅構内に入るまで
お待ちください」のアナウンスがあるくらい。
・駅に近づくと携帯が入りました。誰かが「宮城沖で地震」と言いました。
・ドアが開きましたが、陸上の様子がわからず、携帯もアンテナ3本なのにメールは
送れない。幸い、地下鉄駅構内の無線LANが使えたので、それで家内と、仕事先に
メールを送りました。
・ただ携帯メールは送るだけでなく、受ける方も全国的に遅延があったようでした。
・家内から着信。もう一つ持ち歩いていたPHSにです。これは音声通話も可能でした。
家内は自宅の固定電話からでした。Willcom、夏ごろには解約するつもりなのだが。
上記は気象庁”「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第10報)”より
http://www.jma.go.jp/jma/press/1103/12h/201103121400.html
・そうこうするうちに余震(上図のM7.3の地震)。また大きく揺れました。
地下鉄車内および構内は危ないから出ろ、とのアナウンス。
え、今度は外のほうが安全なのか?
まあたしかにいま地下の天井が崩れてきたらとおもうと、、、ゾッとしました。
・促されて外に出た写真がこちら→http://goto33.blog.so-net.ne.jp/2011-03-11-1
上野駅でした。JRに乗り換え…JRも全線止まっていた。やっぱしね。
・よくみると消防車が写っています。救急車もいました。都内ではその後もパトカー
や救急車のサイレン音が響いていました。でも火災や煙は見えず。
バス停にも凄い行列だ。
・しかし上野駅でよかった。仕事先の神田にあと2駅だけ。歩こう。
・できるだけ広い道を歩こうとしましたが、ビルだらけの東京。どこを行っても
大差はないので、国道4号沿いの歩道を行くことにしました。
とりあえず、神田方面へ。
途中、安売りスーパーの前を通りましたが、急遽閉店していました。
陳列商品などが倒れているように見えました。
・道を行くと不思議なことに気づきました。歩道をスタスタとひたすら歩いて行く人が
いれば、数名で輪になって歩道で立ち止まっている人達もいる。どうも前者は私と
同じで、仕事先に急ぐ人のよう。JRも地下鉄も全線止まっていますので、歩く人は
多かったです。
・後者はたぶん近くのオフィスで働いている人。どうやら、地震時に建物の壁が一部
剥がれて落ちてきたりして、地上は地下よりも恐怖の度合いは相当大きかった様子。
仕事を続けるかどうするかも含めて、連絡・相談していたのでしょう。
写真は一例。タイルが一部剥がれて落ちています。
歩道は当然通行注意。1時間歩いていて、ガラスが割れたりした建物が4つほどありました。
・駐車場にはたくさんの人が携帯片手に集まっていました。でも携帯は繋がらない
ようで公衆電話に長蛇の列。あと、NHKラジオを外に流している店もあった。
有線放送かな?
・そういえば、午前中に某所で道に迷って、コンビニで立ち読みした地図は「震災時
徒歩帰宅マップ」だったなぁ、、、と思いながら歩きました。
・受付嬢の方がヘルメットをかぶって、受付業務をしていた。帰ったほうが良いのでは?
途中のロータリー的広場。たぶん立ち入り禁止の芝生域だが、多くの人が避難していた。
一方、工事現場では普通に作業を進めておられるケースも。混沌としてました。
・1時間弱あるいて、神田の会議室へ。会議は行われてました。
(この間、普通に会議) ←日常にほっと一息。
・会議後の写真がこちら →http://goto33.blog.so-net.ne.jp/2011-03-11-2
JRも地下鉄も動かない。逆に、この会議室には電気もあるし、ネットもある。
水もある。ホテルに行きたい気持ちもあったが、一同ここに腰をすえる。計9名。
食事の様子。カップ麺。お弁当やおにぎり、サンドイッチはもうなかったそうです。
翌朝、コンビニを覗いてみると、袋菓子コーナーも空でした。お茶・ジュース・ビール
だけはまだまだありました。
・結局、会議室で一夜を明かしました。椅子を3つ並べて眠りました。
まるで学生時代のようです。
・翌朝は、東京駅へ向かい、無事に新幹線に乗ることができました。東海道新幹線は
通常に走っていました。あるいて東京駅まで行きましたが、途中、24時間営業の
牛丼的チェーン店は「食材切れのため、閉店」との張り紙がありました。
以上は私的備忘録。ただ、TV画面では津波のものすごい映像が繰り返し流れていて、
かつての阪神淡路大震災のことも思い出されて、ちょっと気分がすぐれなくなって
きました。さらに、つい先程、福島第1原発がどうやら只事でない事態になっている
ようです。私的備忘録はこれくらいにしたいと思います。ちょっと休みます。
M(マグニチュード)8.8の「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。
(※参照 → http://ja.wikipedia.org/wiki/地震の年表)
私はちょうど東京にいて、地下鉄の中で揺れを感じました。
以下は備忘録です。箇条書きにします。
・まず地下鉄車内に聞きなれない機械音(女性の声)で「急停車します、ご注意ください」
とアナウンスが2回あり、ついで車掌さんの声で同内容が繰り返されたあと、
電車はすーっと停車。
・そして揺れが来ました。どうやら緊急地震速報で地下鉄が自動停車したようでした。
・地下鉄車内は長く、ゆっくり大きく揺れました。
車内で「怖い」とつぶやく声も聞こえました。
・幸い、車内はガラ空きだったので、乗客は皆、座ったまま
揺れがおさまるのを待ちました。
・20分くらいそのまま停車していましたが、停電もなく、車掌のアナウンスも
落ちついてました。
・「地下鉄車内が一番安全ですので外に出ないでください」とのアナウンスも。
・やがて地下鉄は今まで見たことがないほどゆっくりと、隣の駅まで移動しました。
歩くくらいの速度。駅につきましたが「すべての車両が駅構内に入るまで
お待ちください」のアナウンスがあるくらい。
・駅に近づくと携帯が入りました。誰かが「宮城沖で地震」と言いました。
・ドアが開きましたが、陸上の様子がわからず、携帯もアンテナ3本なのにメールは
送れない。幸い、地下鉄駅構内の無線LANが使えたので、それで家内と、仕事先に
メールを送りました。
・ただ携帯メールは送るだけでなく、受ける方も全国的に遅延があったようでした。
・家内から着信。もう一つ持ち歩いていたPHSにです。これは音声通話も可能でした。
家内は自宅の固定電話からでした。Willcom、夏ごろには解約するつもりなのだが。
上記は気象庁”「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第10報)”より
http://www.jma.go.jp/jma/press/1103/12h/201103121400.html
・そうこうするうちに余震(上図のM7.3の地震)。また大きく揺れました。
地下鉄車内および構内は危ないから出ろ、とのアナウンス。
え、今度は外のほうが安全なのか?
まあたしかにいま地下の天井が崩れてきたらとおもうと、、、ゾッとしました。
・促されて外に出た写真がこちら→http://goto33.blog.so-net.ne.jp/2011-03-11-1
上野駅でした。JRに乗り換え…JRも全線止まっていた。やっぱしね。
・よくみると消防車が写っています。救急車もいました。都内ではその後もパトカー
や救急車のサイレン音が響いていました。でも火災や煙は見えず。
バス停にも凄い行列だ。
・しかし上野駅でよかった。仕事先の神田にあと2駅だけ。歩こう。
・できるだけ広い道を歩こうとしましたが、ビルだらけの東京。どこを行っても
大差はないので、国道4号沿いの歩道を行くことにしました。
とりあえず、神田方面へ。
途中、安売りスーパーの前を通りましたが、急遽閉店していました。
陳列商品などが倒れているように見えました。
・道を行くと不思議なことに気づきました。歩道をスタスタとひたすら歩いて行く人が
いれば、数名で輪になって歩道で立ち止まっている人達もいる。どうも前者は私と
同じで、仕事先に急ぐ人のよう。JRも地下鉄も全線止まっていますので、歩く人は
多かったです。
・後者はたぶん近くのオフィスで働いている人。どうやら、地震時に建物の壁が一部
剥がれて落ちてきたりして、地上は地下よりも恐怖の度合いは相当大きかった様子。
仕事を続けるかどうするかも含めて、連絡・相談していたのでしょう。
写真は一例。タイルが一部剥がれて落ちています。
歩道は当然通行注意。1時間歩いていて、ガラスが割れたりした建物が4つほどありました。
・駐車場にはたくさんの人が携帯片手に集まっていました。でも携帯は繋がらない
ようで公衆電話に長蛇の列。あと、NHKラジオを外に流している店もあった。
有線放送かな?
・そういえば、午前中に某所で道に迷って、コンビニで立ち読みした地図は「震災時
徒歩帰宅マップ」だったなぁ、、、と思いながら歩きました。
・受付嬢の方がヘルメットをかぶって、受付業務をしていた。帰ったほうが良いのでは?
途中のロータリー的広場。たぶん立ち入り禁止の芝生域だが、多くの人が避難していた。
一方、工事現場では普通に作業を進めておられるケースも。混沌としてました。
・1時間弱あるいて、神田の会議室へ。会議は行われてました。
(この間、普通に会議) ←日常にほっと一息。
・会議後の写真がこちら →http://goto33.blog.so-net.ne.jp/2011-03-11-2
JRも地下鉄も動かない。逆に、この会議室には電気もあるし、ネットもある。
水もある。ホテルに行きたい気持ちもあったが、一同ここに腰をすえる。計9名。
食事の様子。カップ麺。お弁当やおにぎり、サンドイッチはもうなかったそうです。
翌朝、コンビニを覗いてみると、袋菓子コーナーも空でした。お茶・ジュース・ビール
だけはまだまだありました。
・結局、会議室で一夜を明かしました。椅子を3つ並べて眠りました。
まるで学生時代のようです。
・翌朝は、東京駅へ向かい、無事に新幹線に乗ることができました。東海道新幹線は
通常に走っていました。あるいて東京駅まで行きましたが、途中、24時間営業の
牛丼的チェーン店は「食材切れのため、閉店」との張り紙がありました。
以上は私的備忘録。ただ、TV画面では津波のものすごい映像が繰り返し流れていて、
かつての阪神淡路大震災のことも思い出されて、ちょっと気分がすぐれなくなって
きました。さらに、つい先程、福島第1原発がどうやら只事でない事態になっている
ようです。私的備忘録はこれくらいにしたいと思います。ちょっと休みます。
地震に関する情報を幾つかまとめておきます。
●Magnitude 8.9 - NEAR THE EAST COAST OF HONSHU, JAPAN
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/recenteqsww/Quakes/usc0001xgp.php#maps
米国地質調査所のサイト。各種地図が充実。
●東京大学地震研究所特集サイト
http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/
津波の地震がさきほど追加されました。
●National Postの写真特集ページ
http://news.nationalpost.com/photo_gallery/photos-massive-quake-unleashes-tsunami-on-japan
大きめの写真が多数あり、津波の様子が分かりやすい。
by MANTA (2011-03-12 19:24)
MANTAさん東京にいらっしゃったのですね。
私は職場が新宿なので、かなり恐ろしい体験をしました。私は見ていませんが、高層ビル、損保ジャパンよりも野村ビルがぐらぐら揺れていたそうです。上層階の人々は生きた心地がしなかったかもしれません。
by アヨアン・イゴカー (2011-03-12 20:11)
お久しぶりです。ご無事で何よりでした・・・。
by mushi (2011-03-12 20:18)
どうされたかと案じておりましたが、無事にお帰りになられたとのこと、安堵いたしました。
by 素風 (2011-03-12 21:39)
>私は職場が新宿なので、かなり恐ろしい体験をしました。
アヨアン・イゴカーさん、お疲れ様です。いまも余震で緊急地震速報がでています。
関東地方はしばらく注意すべきでしょうね。
mushiさん、コメントありがとうございます。ただ私は所詮、東京で地震を感じた
にすぎませんが、東北地方の方々の安否が心配です。
素風さん、そちらは大丈夫でしたでしょうか? 同じ関東地方でも、神奈川
県は揺れも大きくなかったようですが、逆につくば方面は相当大変だった
ようです(つくばに帰り着かれた研究者の方のお話)。
by MANTA (2011-03-13 10:30)
八戸市の沖で、地球探査船 「ちきゅう」 の見学に訪れていた地元の
小学生48人が無事救助されたとのニュースにほっとしましたが、
大勢の行方不明の方々、被災地の余りの光景に胸が一杯です。
原発も心配ですし、MANNTAさん、科学者の皆さま、頑張って下さい。
by ハニーm (2011-03-13 11:03)
今回の、東北での過去にない大地震・原発の危機(安全性があると言っていたのに、即、放射能に汚染されている現状がある。しかし、政府は、状況を隠すだけである。)
政府は、AOKのホームページで、タヌマの預言・アイクルテンの預言を何回も読んで、全てを理解していても、何も動かない!
私自身も、弱くて、救世主の必要性を強く感じながらも、今まで何も出来なかった一人だったが、もう弱さを捨てて立ち上がる事を決意した!
by みちる (2011-03-13 16:08)
これは大変でしたね…。
なんとか京都に帰りつかれたとのこと、良かったです。
私も近々東京行きので、余震など注意したいと思います…。
地震後NHKをつけたら、中継の中で次々と田畑が飲み込まれ…呆然です…。被災者の方々のご無事をお祈り申し上げます。
それにしてもここでM9の地震が起こるとは、あまり予想されていなかったようなのですが、どうだったんでしょう。
すべり域がかなり広く、3箇所が連続的に数分にわたって破壊したということですが…。
新潟で起きた直下型地震と、プレート境界の今回の地震の関連も気になります。
ほとぼりが冷めましたら、プレートテクトニクス等の話もまた特集していただけるとありがたいです。
by LH2 (2011-03-13 16:36)
東京にいらしてたんですね、
ご無事にお戻りになられてよかったです。
会社のある神田で被災しました。
地震後帰宅することになったので、
川崎まで5時間かけて歩いて帰りました。
帰宅するまで十分な情報を得ることができなかったのですが、
テレビを付けて津波の恐ろしさに唖然としました。
早く東北沿岸部が復旧・復興することを望みます。
ここ2日間、テレビを見ていると、
・緊急地震速報が出る度に恐々としてしまったこと
・あるアナウンサーが『この災害が以降の菅政権にとって・・』
とか言っていることに気絶しそうになったこと
・経済状況が悪いなかで、『想定外』にどのように対処してくのか?
などと感じたり、思ったりしたところです。
by そうとうさ!! (2011-03-13 22:17)
そうですか、東京にいらっしゃったのですね。
帰宅難民の一人ですね。
私も追浜(横須賀)で一夜を過ごしました。
娘が怖がっているの連絡受けてもなのもできない自分がいます。
自然には無力です。
私の友人が東北に多くおり、安否が不明でとても心配です。
現在東北地方に住まいの通話量がふえ、いろんな意味で通信のリソースが不足しています。この場を借りて申し訳有りませんが、不要な通話、通信は控えていただいたいと説に思います。
by yao (2011-03-13 22:25)
却ってご心配いただき恐縮ですー。
拙宅はボウルやなべに本少々が吹っ飛んだくらいで、特に食器が割れることもありませんでした。近所は塀が傾いたり屋根が落ちたりしているところもありました。
停電もローテーションであることを除けばライフラインに問題がなく、通信状況も不良とはいえないのになぜか情報が錯綜しているんでしょうか。なぜか近所の店からものがなくなってます。不思議だー。拙宅は地震数時間前に偶然1週間分の買い出しがほぼすんでいたので特に買い足すものがないのですが、なぜか夫が酒を、息子が菓子を買いたがるので困ります。
by 素風 (2011-03-15 21:36)
みなさまコメント、ありがとうございます。地震のせいもありますが、年度末
のため、京都に戻っても少し忙しい毎日です。
>八戸市の沖で、地球探査船 「ちきゅう」 の見学に訪れていた地元の
>小学生48人が無事救助されたとのニュースにほっとしました
ハニーmさん、ちきゅうは船の一部を大きく痛めているようですね。これで
またしばらく掘削調査はできないかもしれません…
>私自身も、弱くて、救世主の必要性を強く感じながらも、今まで何も出来
>なかった一人だったが、もう弱さを捨てて立ち上がる事を決意した!
みちるさん、私も当初は「国は、東電は、何をやっているか!」と思いました
が
今は最前線の関係者は不眠不休で頑張っている様子が伝わってきます。
私は予言者よりも、技術者や、不明の要因を探り続けている科学者を頼り
たいと思っています。
>それにしてもここでM9の地震が起こるとは、あまり予想されていなかっ
>たようなのですが、どうだったんでしょう。
LH2さん、知人の出版関係者からも同様の問い合わせを受け、私なりの
お返事を書いているところです。またこちらにもUPしようかと思っております。
少々お待ち下さい。
by MANTA (2011-03-17 07:40)
>ここ2日間、テレビを見ていると、
>・緊急地震速報が出る度に恐々としてしまったこと
>・あるアナウンサーが『この災害が以降の菅政権にとって・・』
> とか言っていることに気絶しそうになったこと
そうとうさ!!さん、お元気そうで何よりです。いまは計画停電などでお仕事も
ままならず(年度末なのに!)大変なことかと思います。私自身も、先日
お風呂に水を入れたとき、ただの水道水を見てちょっとドキっとしてしまい
ました。津波の映像を見過ぎなのでしょう。
災害と政権運営を結びつけた報道は、阪神淡路大震災のときにもありました。
ある意味、やむを得ないとは思います。ただ責任論は後回しにして、いまは
政府は可及的速やかに救援と支援路確保、それと原発の安全性確保に
努めて頂きたいです。
by MANTA (2011-03-17 07:53)
>私の友人が東北に多くおり、安否が不明でとても心配です。
>現在東北地方に住まいの通話量がふえ、いろんな意味で通信のリソー
>スが不足しています。この場を借りて申し訳有りませんが、不要な通話、
>通信は控えていただいたいと説に思います。
yaoさん、お疲れ様です。日曜日頃から、東北大学などの知人から生存
メールが届くようになりました。おそらく少しずつ停電から復帰しているよう
です。通信通話もそうですが、ガソリンや電力、物資も足りないので、被災地
以外も無駄遣いは厳禁です。不便な生活が東北・関東地方を中心に続き
ますが、これを不便と思わず「環境ライフ元年」と思って生活するのも手かも
しれません。
>停電もローテーションであることを除けばライフラインに問題がなく、通信
>状況も不良とはいえないのになぜか情報が錯綜しているんでしょうか。
>なぜか近所の店からものがなくなってます。不思議だー。
素風さん、阪神淡路大震災の時を考えると、情報流通については随分改善
されたように思います。それでもこれだけ広域で被災地が広がることは想定
していなかったので、情報錯綜は仕方ありません。特に携帯が本当に重要
なライフラインであることが再認識されたので、今後よりよい方策を考えない
といけないとは思います。ちなみに地震直後のコンビニには「お酒」だけは
たくさんありました。ご主人様、ご心配なく・・・
by MANTA (2011-03-17 07:59)
そうとうさ!!さんへのお返事に補足。いま、Googleのニュース検索で
「災害対策本部」で検索したところ、県や市・企業・政党の災害対策本部からの
ニュースはヒットしましたが、国の災害対策本部発のニュースは最新12時間内
では1つもヒットしませんでした。唯一の例外は「首相の動静」でした…
これじゃあ、批判されるよね。
by MANTA (2011-03-17 08:15)
備忘録を拝見いたしました。大変貴重な記録です。発災時の事象が時系列でよくわかります。メモに時刻が記載され、それぞれの時点で何を考え、どう行動したか。克明な観察が加えられ、極めつけは「津波が来るぞ!」皆がMANTAさんのような行動をとれれば何割かの人々が助かったはずです。
浦安の友人は地震で腰抜けになるのをこらえながら、地割れのズレ初めと液状化を動画で記録しています。彼女はデジカメの代わりにハンディカムを常用していたので記録できたと思います。咄嗟の行動が出来るかは「平時」の備えです。
2011.03.11 earthquake urayasu chiba Japan 東北地方太平洋沖地震
http://www.youtube.com/watch?v=Cy-MOZwr5G0&feature=feedlik
by 乾物屋 (2011-03-19 02:10)
乾物屋さん、動画のご紹介、ありがとうございます。貴重な記録ですね。
歩道がズレている最中なのに、平気で歩いている人もいるのが印象的です。
あと気づいたこととして(あくまで私ならですが)背後にあるらしき建物からはハッとして離れると思います。人間は広いところよりも狭いところのほうが安心
しますが、地震のときは広い場所にいるほうが良いです。
液状化というのも、あれくらい揺れから遅れて発生する現象なのかと、驚き
ました。水道管の破裂もあるようですが、液状化と思われる噴出もありますね。
by MANTA (2011-03-19 09:36)