あれからもう20年か。 [ 知識ゼロから学ぶ地底のふしぎ]
1995年1月17日。あれからもう20年が経った。
このブログでも何度か書かせてもらったが、私はかつて神戸に住んでいた。
なので「あれから20年」という言葉ひとつに、いまもいろんな感情が湧いてくる。
・大学時代、青春を過ごした街がなくなった悲しみ。
・震災の瞬間には神戸を離れていたが、知人の多くが被災した。
しかし私は「そこにはいなかった」。
・復興する街並み。私の知らない神戸ができあがっていく過程。
・学者としての無力感。曲がりなりにも地震予知に携わってるのに。
・東日本大震災で、繰り返される悲劇。再び見守る被災から復興への時間。
2006年の神戸ルミナリエ。
震災の時、私は何をしていたかは、こちらの記事に書いています。
http://goto33.blog.so-net.ne.jp/2006-12-19
これとて、もう8年以上前の記事か…
しかし、あのとき、20年前から一体何が変わったというのだろうか?
地震の研究はこの20年で着実に進歩した。分からなかったことが分かってきた。
それらの成果の一部は、この連載「電磁気で地震予知」でも少し紹介してきた。
しかし2011年の超巨大地震の発生により、「分かったと思っていただけだった」ことが
実に多いことが判明した。地震を予知できるレベルにも遠く及ばない。
活断層の調査ひとつとってもそうだ。今日はNHKスペシャル、
「シリーズ阪神・淡路大震災20年第2回 都市直下地震 20年目の警告」
をつい先程見終わった。
HP( http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0118/index.html )より
番組では「地震時に地表に断層が現れないケースが多々ある」ことが新たな事実のように
報じられていたが、専門家は昔から知っていた。しかも(番組では語られなかったが)
活断層をパワーショベルで掘って地層を調べたところで、直近でいつ、その断層が
ずれ動いたかが分からないケースも多々ある(その理由はまた回を改めて述べよう)。
原発の下に活断層があるかないかを延々と議論しているのも、この不確定性のためだ。
1995年以降、国は活断層を重点的に調査したが、意に反して未知の活断層での地震が
被害を引き起こすこととなる(2007年能登半島地震、2008年岩手・宮城内陸地震)。
地表の地形の凸凹から活断層を探す試みも、40年以上行われているが進歩はない。
最近は航空機にレーザースキャナーを搭載して微細地形を調べるらしいが、それが
本当に活断層が作った地形なのか? 一連の地形の凸凹はひとつの活断層が作った
のか、複数の活断層のせいなのか? いつ・どれくらいの地震が過去に起きたのか?
といった問いのどれ一つに対して答えを出さない。
一方で、地震に伴う異常検出も進歩はない。動物や雲で予知する話など論外だが、
ちゃんとした測定装置を用いて、地震前→地震の最中→地震後へと至る諸変化を
追うこともままならない状況がずっと続いている(一部の地震計や地殻変動計は除く)。
20年前の写真。神戸での地震発生の直後、六甲山裏側に地震後に磁力計や
電位差計を設置しにいった時の写真。太陽電池パネルを固定するYさん。
とにかく手持ちの機械をもっていき、何かをやらねばという焦りに似た気持ちを
当時学生だった私ですら感じていた。
地震が起きそうな場所に事前に装置を置くにはどうすれば? 地震予知を目指した
観測をするためには、地震予知ができていなければいけない、というジレンマ。
あいかわらずといえば、NHKの番組もあいかわらずだ。
例えば、地表での活断層調査に限界があるのなら地下を調べれば良い。可能だ。
反射法地震探査(音波を使った地下探査法)などのち家探査法を使えば良い。
しかし今日のNHKスペシャルではそれにはほとんど触れることなく、
「都市の下には未知の活断層がある、これは警告だ、注意しろ」と脅すばかり。
(この手の報道では「脅し」が常套句だ。例:こちら)
番組のおしまいでおまけのように、活断層の音波探査を紹介していたが
「レーダーで探る」と紹介していた。誤報のおまけ付きであった。
防災関係の記者は防災科学や地球科学を理解する気はあるのだろうか?
これも20年来、まったく変わっていない。
やはり20年前の写真。先の六甲山裏側の観測点の近くの家にいた犬とSさん。
装置には何度もメンテにいった。毎回大渋滞を抜けねばならず、大変だった。
震災後に変わったこともある。神戸の街だ。しかし考えてみれば、それは当たり前。
神戸市によれば、震災を経験していない市民が4割を超えているそうだ。
●「震災を経験していない」 2021年には5割に
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/graph/p12.shtml
都市は生きている。震災の有無によらず、どの街でも20年経てばそれくらいの人が
入れ替わっているのだろう。神戸の街も変わっていって当然だ。震災を機に一気に
変わったから目立つだけで、京都や大阪、東京も、20年でどれほど変わったことか。
人は変わっていく。学問は代わり映えしない。なかなか難しいな。
東日本大震災からももう4年が経つ。20年経てば2031年だ。
その時、私達はいまよりもっともっと、なにかができているだろうか?
あまりそうは思えない気もする。
そんな1月17日を、あの日から20年たって迎えました。
20年前の私。岐阜での活断層調査の様子。
YさんやSさんの写真だけだと、怒られそうだから、自分のも載せます。
このブログでも何度か書かせてもらったが、私はかつて神戸に住んでいた。
なので「あれから20年」という言葉ひとつに、いまもいろんな感情が湧いてくる。
・大学時代、青春を過ごした街がなくなった悲しみ。
・震災の瞬間には神戸を離れていたが、知人の多くが被災した。
しかし私は「そこにはいなかった」。
・復興する街並み。私の知らない神戸ができあがっていく過程。
・学者としての無力感。曲がりなりにも地震予知に携わってるのに。
・東日本大震災で、繰り返される悲劇。再び見守る被災から復興への時間。
2006年の神戸ルミナリエ。
震災の時、私は何をしていたかは、こちらの記事に書いています。
http://goto33.blog.so-net.ne.jp/2006-12-19
これとて、もう8年以上前の記事か…
しかし、あのとき、20年前から一体何が変わったというのだろうか?
地震の研究はこの20年で着実に進歩した。分からなかったことが分かってきた。
それらの成果の一部は、この連載「電磁気で地震予知」でも少し紹介してきた。
しかし2011年の超巨大地震の発生により、「分かったと思っていただけだった」ことが
実に多いことが判明した。地震を予知できるレベルにも遠く及ばない。
活断層の調査ひとつとってもそうだ。今日はNHKスペシャル、
「シリーズ阪神・淡路大震災20年第2回 都市直下地震 20年目の警告」
をつい先程見終わった。
HP( http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0118/index.html )より
番組では「地震時に地表に断層が現れないケースが多々ある」ことが新たな事実のように
報じられていたが、専門家は昔から知っていた。しかも(番組では語られなかったが)
活断層をパワーショベルで掘って地層を調べたところで、直近でいつ、その断層が
ずれ動いたかが分からないケースも多々ある(その理由はまた回を改めて述べよう)。
原発の下に活断層があるかないかを延々と議論しているのも、この不確定性のためだ。
1995年以降、国は活断層を重点的に調査したが、意に反して未知の活断層での地震が
被害を引き起こすこととなる(2007年能登半島地震、2008年岩手・宮城内陸地震)。
地表の地形の凸凹から活断層を探す試みも、40年以上行われているが進歩はない。
最近は航空機にレーザースキャナーを搭載して微細地形を調べるらしいが、それが
本当に活断層が作った地形なのか? 一連の地形の凸凹はひとつの活断層が作った
のか、複数の活断層のせいなのか? いつ・どれくらいの地震が過去に起きたのか?
といった問いのどれ一つに対して答えを出さない。
一方で、地震に伴う異常検出も進歩はない。動物や雲で予知する話など論外だが、
ちゃんとした測定装置を用いて、地震前→地震の最中→地震後へと至る諸変化を
追うこともままならない状況がずっと続いている(一部の地震計や地殻変動計は除く)。
20年前の写真。神戸での地震発生の直後、六甲山裏側に地震後に磁力計や
電位差計を設置しにいった時の写真。太陽電池パネルを固定するYさん。
とにかく手持ちの機械をもっていき、何かをやらねばという焦りに似た気持ちを
当時学生だった私ですら感じていた。
地震が起きそうな場所に事前に装置を置くにはどうすれば? 地震予知を目指した
観測をするためには、地震予知ができていなければいけない、というジレンマ。
あいかわらずといえば、NHKの番組もあいかわらずだ。
例えば、地表での活断層調査に限界があるのなら地下を調べれば良い。可能だ。
反射法地震探査(音波を使った地下探査法)などのち家探査法を使えば良い。
しかし今日のNHKスペシャルではそれにはほとんど触れることなく、
「都市の下には未知の活断層がある、これは警告だ、注意しろ」と脅すばかり。
(この手の報道では「脅し」が常套句だ。例:こちら)
番組のおしまいでおまけのように、活断層の音波探査を紹介していたが
「レーダーで探る」と紹介していた。誤報のおまけ付きであった。
防災関係の記者は防災科学や地球科学を理解する気はあるのだろうか?
これも20年来、まったく変わっていない。
やはり20年前の写真。先の六甲山裏側の観測点の近くの家にいた犬とSさん。
装置には何度もメンテにいった。毎回大渋滞を抜けねばならず、大変だった。
震災後に変わったこともある。神戸の街だ。しかし考えてみれば、それは当たり前。
神戸市によれば、震災を経験していない市民が4割を超えているそうだ。
●「震災を経験していない」 2021年には5割に
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/graph/p12.shtml
都市は生きている。震災の有無によらず、どの街でも20年経てばそれくらいの人が
入れ替わっているのだろう。神戸の街も変わっていって当然だ。震災を機に一気に
変わったから目立つだけで、京都や大阪、東京も、20年でどれほど変わったことか。
人は変わっていく。学問は代わり映えしない。なかなか難しいな。
東日本大震災からももう4年が経つ。20年経てば2031年だ。
その時、私達はいまよりもっともっと、なにかができているだろうか?
あまりそうは思えない気もする。
そんな1月17日を、あの日から20年たって迎えました。
20年前の私。岐阜での活断層調査の様子。
YさんやSさんの写真だけだと、怒られそうだから、自分のも載せます。
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