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美とはなにか? [ 科学コミュニケーション]

さきほど、NHK Eテレで「日曜美術館」を見た。
今日の特集は「楽焼」。茶碗・花入・香炉など、茶道具として使用されている。
●日曜美術館「利休の志を受け継ぐ 樂家450年 茶碗(わん)の宇宙」
 http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2017-01-15/31/29276/1902708/

定本 樂歴代―宗慶・尼焼・光悦・道樂・一元を含む

定本 樂歴代―宗慶・尼焼・光悦・道樂・一元を含む

  • 作者: 樂 吉左衞門
  • 出版社/メーカー: 淡交社
  • 発売日: 2013/03
  • メディア: 単行本



茶器/茶道具・抹茶茶碗/松楽作 野点茶碗 黒楽

茶器/茶道具・抹茶茶碗/松楽作 野点茶碗 黒楽

  • 出版社/メーカー: いいもの厳選ほんぢ園
  • メディア: ホーム&キッチン


千利休と共に始まった楽焼、楽茶碗。時の芸術家、というよりも権力者に愛されてきた。
楽焼の「楽」の字も、豊臣秀吉が居城として京都に築いた「聚楽第」が起源らしい。
しかし、そこにある美しさとはなんだろう?

茶道とは、お茶が美味しい・お菓子が美味いということではなく、
すなわち"格式"であろう。いや、格式張らない茶道もあるという意見もあろうが、
それは程度の差であって、茶道諸流派ごとに所作・しきたりが決められている。

その一様式である侘び茶を完成させたのが千利休。彼は政治やビジネスのセンスに
卓越した男であったらしい(千利休について:接客は利休に学べ 公式サイト)。
例えば、本能寺の変で織田信長が亡くなった後である。豊臣秀吉と明智光秀は山崎
(大阪・京都の境目)にて跡目争いを繰り広げるが、秀吉側が優勢と知るや否や、利休は
秀吉の陣へとおもむき、勝利の茶をたてたとか。史実かどうかははっきりしないが、利休の
その後の出世をみるに、遠からずであろう。また利休作とされる唯一の現存茶室「待庵」は
いまもその山崎の地に残されている(国宝)。
●妙喜庵
 http://www.sansyoutei.com/promenade/temple_myoukian/
13990261735_28c32211ac_z.jpg
 https://www.flickr.com/photos/kounotakeshi/13990261735/
 待庵 by Takeshi KOUNO (protected by CC License)

その茶室「待庵」であるが、狭い「にじり口」から中に入ると、わずか二畳ほどの狭小な
空間が待っている。室内は薄暗く、壁も黒ずんだ土壁。これに加えて、今日の日曜美術館
に紹介されていた初期の楽焼も真っ黒で素朴な茶碗。素朴な黒による統一感の中で、
秀吉は勝利の茶を味わったのか?
おそらく利休はわざとこのような仕様にしたのであろう。権力者と言えども、にじり口では
刀をはずし、頭をさげて入るべし。華美なものには意味はない、本当の美は形ではない。
利休にとって茶道とは、権力者に取り入りつつも、権力を否定する、そういうシステムに
過ぎなかったような気がするのは私だけだろうか?

では、この楽茶碗や茶室 「そのもの」の、美しさはどこにあるのか?
今日の番組中で、十五代 樂吉左衞門は言う。
「秀吉公はこのような黒い茶碗を好まなかったそうです」
そりゃそうだ。これじゃ、貧しい農民時代に使ってた素焼き茶碗に逆戻りである。
国宝「待庵」にしても、これを茶室と知らずに見たら 「ザ・農家の納屋」ではないか!

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 https://www.flickr.com/photos/tamaiyuya/3992197135/
 鼠志野茶碗 by Yuya Tamai (protected by CC License)
 ※これは楽焼ではなく、美濃焼のようです。

…茶道の話はここまでである。
この茶器や茶室の美しさとはなにか、私は私なりに結論はあるが、
それは数多ある美術の解説書に任せたい。

なぜこのような話をしているかと言えば、科学や技術はなぜ人にとって必要なのか
と番組を見て、改めてふと考えたからである(実はいつも考えている)。
科学や技術が人間の役に立つからだとか、人間の好奇心は留まることを知らないからだ
というように多くの人は説明をするし、私もそう語ってきた。しかし、そんな簡単ではない
ようにも思う。一見役に立たないような、難解な科学や技術でも、そこには奥深さがある。

そして日本人は茶器を「ほうほう」と愛でることができても、
科学や技術を「ほうほう」と愛でることはなかなかできない。
その違いはなんなのか?
一見すると「何の変哲もない楽茶碗」を番組で見ながらふと思った次第である。
この話題にオチは、ない。

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コメント 2

立花

私、陶器好きなんですよね。
実際に備前や美濃や伊賀・信楽などに足を運んで見てきたり、気に入ったものがあったら買い求めたりもしていました。

茶道は、ひと口で言えば「心映え」だと思っています。
でも、詳しいことは知りません。
昔、私が学生だった頃の高校の国語の教科書にも茶道のことが書かれている章があって、さっぱりわからんかったなあ~

>科学や技術を「ほうほう」と愛でることはなかなかできない。
日本って科学の基礎研究の分野が育ちにくいっていう環境があるとよく言われるじゃないですか。
それと何か関係があるのかなーと思ってみたりもするのですけど、どうなんでしょうか。

by 立花 (2017-01-16 00:18) 

MANTA

立花さん、コメントありがとうございます。
茶道は「心映え」、なるほどその通りと思います。

>日本って科学の基礎研究の分野が育ちにくいっていう環境があるとよく
>言われるじゃないですか。それと何か関係があるのかなーと思ってみたり
>もするのですけど、どうなんでしょうか。

そもそもで言えば、科学の種々の作法はヨーロッパ製です。
明治になり、日本はこれらを急速に導入しました。その結果として、
ある時期(戦後~1990年頃)は基礎研究が結実したので、ノーベル賞を
受賞する日本人が増えました。

ところがこれらは単に欧米に追いつけ・追い越せ(明治以降のスローガン)
の結果や余波であって、科学哲学は日本にはまったく根付いていない
ように思います。日本のノーベル賞受賞者も今後出てきにくいでしょう。

科学の実態とはなにか?それはある種の精神であり、宗教ですらある。
一方、茶道とは何か?これもある種の精神を形にしたものでしょう。
茶道や奥ゆかしさが独自の文化の中で長年発展した日本であるのに、
同じく精神や内面を映し出す自然科学には(役立つという面を除くと)わりと
無関心。それを変だ、また興味深いとおもい、駄文をUpした次第です。
ま、基礎科学をメインでやってるわけではない私がこんなこというのも
これまたオカシナ話でもありますが。

参考:
はたして日本は今後もノーベル賞をとれるのか?
http://blogos.com/article/138258/
日本人は今後もノーベル賞を取り続けるのか?経済と受賞者数の関係を調べてみました
http://www.pepsinogen.blog/entry/2016/10/07/日本人は今後もノーベル賞を取り続けるのか?
by MANTA (2017-01-17 12:08) 

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