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「考察」なのか「議論」なのか? [ 科学コミュニケーション]

いま大学では卒業論文や修士論文の作成に大わらわである。
そして、できあがってきた下書きをみて、指導教員は日々愕然としている。

・研究の目的と結論があっていない。
・得られた結果を考察していない。
・そもそもなんのための研究か理解できていない?
・主語と述語があってない。
・文献を全く引用していない。

どうしたことか? 偏差値の高い国立大学でも、そうでない大学でも、この問題は
共通に起きている。どうやら、小中高の「国語」の授業で、このような論理的な文章の
書き方を学んでいないようだ(ホント?)。なんとなれば、一流大学と言われるところの
理系学生に文章ベタが目立つように思われる。受験科目に特化して勉強してきたため
文章の大事さを会得できていないのか?

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そんな中、わりと深刻なのが「考察」ができない学生が多いことだ。
分かったことをただ羅列する、それが「考察」だと思っているフシがある。
さらに「考察」と「感想」の違いが分からないという学生もいるらしい。
なぜそんな状態に陥るのか?
彼らはそもそも「論文」の書き方を誤って学んでいる可能性が高い。
論文の構成といえば 「目的 → 対象と方法 → 結果 → 考察 → 結語」
となるパターンが一般的である。
参考:
●論文の「考察」の書き方
 http://homepage3.nifty.com/hiraizumi/starthp/subpage09.html
●やればできる 卒業論文の書き方
 http://www015.upp.so-net.ne.jp/notgeld/sotsuron.html
この「考察」という言葉が厄介者である。辞書を引けば、その意味は次のようだ。
”物事の本質や状態などを明らかにするために、よく調べたり考えたりすること。"
(新明解国語辞典 第五版 (C) 三省堂より)
しかしこれは「考察」という単語の一般的な意味であって、論文の「考察」の役割は異なる
のである。これを理解していないと、考察に実験結果のまとめをダラダラと書きがちだ。

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ところで科学論文のお作法は、洋の東西を問わない。むしろ西洋から来たものだろう。
では英語論文の構成はどうなっているかといえば、、、
「Introduction → Methods → Result → Discussion → Conclusions」
上述の和文論文の場合と同じく、5つの章からなるが、和文での「考察」の章は
英文では「Discussion」、すなわち議論となっている。

なので、「考察」では議論をしないといけない。一般に「結果」には、客観的な事実(実験結果
のグラフや数表など)だけを載せる。グラフ・数表上の、"誰が見てもそうだと思う"ような特徴も
「結果」の章に書いて良い(私はここに書くことを奨めている)。

 
  発見というものは、客観性に基づく主観性から構成される場合が多い

一方、「考察」では、「結果」で述べた事実に基づいて、それらの数値が意味することや、
数値がそのようになった理由などを述べる。グラフやその特徴は客観的なものだが、
その意味や理由は著者により変わってくる可能性はある。ここが著者の腕の見せ所である。
よく科学は「客観性のみでなりたつ学問」と思われがちだが、そんなことはない。客観性を
根拠とし、それらの意味するところを有機的に繋いでいかなかれば(論理的な主観性の介入)
科学的な発見へと結実しない。しかし主観的解釈には疑問や他の解釈の可能性が残る。
だから英語論文では「Discussion」なのである。考察では、客観的な事実を合理的に
積み上げて、そこから得られる「結論」がいかに正しいかを自ら議論しないといけない。

とすれば、そもそも和文論文の構成は以下のようであるべきだろう。
「目的 → 対象と方法 → 結果 → 議論 → 結語」
あるいは「議論・考察」とすべきか。ともかく、議論して下さいね、考察パートでは。

こういうことは日本の学校では習わない。いや、多少習うが骨身にしみるほどはやらない。
ここが欧米の教育と徹底的に異なる部分だと思う。では大学ではやっているのか?
1回生・2回生の授業で少しだけやっているが、やはりほぼトレーニングされてはいない。
うーんこまった。
なので最近は3回生の実験レポートなどで、このあたりを厳しくやりはじめている。
そして、ちゃんと書けていないレポートは再提出させるようにし始めている。
とはいえ(私自身がそうだったけど)、これが身につくには数年かかる。
だから、これこそが大学での教育の価値といえるのかなぁ?
(いや、もっと小さい時に身につけさせるべきだろうね)

そんなこんなで、みなさまからの卒論下書きのご到着、
お待ちいたしております。 m(_ _)m  > 業務連絡
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マリー

「Discussion」 が元々日本人は苦手なのかもしれませんね
これは、小さい頃から学校、家庭などで(意識しつつ)自然な感じで
学ばせるべきですよね。

by マリー (2016-02-06 18:59) 

MANTA

コメント ありがとうございます。
朝まで生テレビが「Discussion」の典型例だと思っている人は多そうです。
あれはエンターテイメントですから!
Discussionはケンカではないし、ディベートとも違う。
これってちゃんと教えないといけないことですが、なかなか。
っていうか大人自身が「Discussion」の仕方を知らないことも多いのよね~
(なぜかオネエ言葉)
by MANTA (2016-02-06 19:12) 

Working Dad Ovwesea

論文書くのって、難しいよね。
まともな文章が書けるようになったのは、僕の場合は就職後10年経ってからかなぁ。。。
学生さんにそれを教えるのって、大変だよね。毎年、入れ替わっちゃうし。。

そうそう、日本語の素晴らしさを語った投稿を書いたよ。
http://lifeyoshinorik.blogspot.jp/2016/02/wonderful-japanese.html
宜しければ、どうぞ。

by Working Dad Ovwesea (2016-02-13 23:17) 

MANTA

Working Dad Ovweseaさん、お返事が遅くなりました。
この忙しい時期に体調不良がかさなると→復調まで時間がかかり→仕事が
ものすごく溜まってしまうのでそれを片付けるのも大変→その間にも仕事が
舞い込む、という悪循環。やっと追いつきました。

日本語の素晴らしさに関する記事、ご紹介ありがとうございます。
分かる部分もあります。以前、日本語の論文が必要かどうかで、親しい研究者
と議論したことを思い出しました。一方で、グローバル化も進めないといけない。
世の中、バランスでしょうかね?

by MANTA (2016-02-27 15:55) 

MANTA

参考:「間主観性」というのか、なるほど。
山口裕之, 科学的知識の客観性と間主観性, 哲学, No.52, 276-285,302, 2001.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/2001/52/2001_52_276/_pdf


by MANTA (2017-01-30 18:06) 

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