SSブログ

インパクトファクター信仰の危うさ [ 科学コミュニケーション]

学校といえば「定期試験」であり「成績」である。生徒は成績で評価される。
では学校を出た後はどうだろう? 一般の方々には馴染みが薄いが、
大学や研究所で働く科学者にも「成績」がある。

「インパクトファクター」と呼ばれるものがそれにあたる。
これはそもそもは科学者の成績ではなく、科学的な学術雑誌の指標である。
●インパクトファクターについて(トムソン・ロイター)
 http://ip-science.thomsonreuters.jp/ssr/impact_factor/
Impact.jpg
図にするとこんな感じ。ある雑誌上へ、最近の数年間(3年間)に掲載された論文
が他の論文に何回引用されたかを調べて数値化する(引用総数÷掲載総数)。
論文がたくさん引用される雑誌ほど、優れた学術誌!というわけだ。
本来は雑誌の格付けの指標だが、近年は科学者の格付け指標にもなりつつある。
例:「私はインパクトファクター4以上の雑誌に●本の論文が掲載されております!」

インパクトファクターは「雑誌全体の引用回数」だが、「個々の論文の引用回数」
を調べることも可能なので、それを「成績」としているケースもある。
例:「私の●●に関する論文は、これまでに●●回引用されています!」
これを発展させて、科学者の影響力を測る指標も提案されている。
●「h指数」とは何か?
 http://www.editage.jp/insights/what-is-the-h-index

ヒトは(特に科学者は)数字に弱い。自分の業績が数値化されることを好み、他人と
比較し、優秀さの宣伝材料とする。この客観的数値の凄さは、専門分野を越えた業績
比較すら(実用には問題があるとはいえ)可能としたことだ。しかしインパクト
ファクターなどの信頼度は早晩低下すると思われる。理由は次の経験からだ。
-----
1)雑誌編集者から論文の引用を強いられた
私も関わっている投稿中の論文が、とある学術雑誌Aに受理直前となっていた。
ある日、私達に一通のメールが届いた。雑誌の編集長からだ。そこには非常に
簡便な文章で「下記の論文を引用してください」とあり、その下にはこの雑誌Aに
最近掲載された論文が4つ並んでいた。4つの論文は原稿の内容と無関係という
わけではないが、それらを文中のどこで引用せよという指示はなかった。

2)査読者から論文の引用を強いられた
こちらは聞いた話。ある科学者が、ある論文を科学雑誌Bに投稿したら、査読者
(論文をチェックするヒト:こちら)から「これと、これと、これも引用しなさい」と言われた。
いずれも××先生の研究グループによる論文である。この話を聞いた別の科学者
いわく、「ああ、その査読者は××先生だね、彼は自分の論文を引用しないと、
論文を掲載不可にするんだよ。あの先生はこの分野の大家だから、次に論文を
投稿するときは、はじめから彼の論文を引用しておくと良いよ」
-----

3968019031_ba86c1fc76_z.jpg
Photo: researching by Jimmie (protected by CC License)

雑誌編集者も査読者(科学者)も自分の評価をあげようと必死である。
私自身もそうだ。なので(渋々ではあるが)先の4つの論文は引用することにした。
(これを拒んで論文掲載拒否なんて憂き目は正直いって御免だ)

一方で、こんなことを繰り返して、なんになるのだろうか?とも思う。
おそらく同じ事がどの科学分野、どの雑誌でも行われている。
インパクトファクターや論文の被引用数がたいした指標にもならない日は
すぐに来るだろう。例えば下記のような記事をちらほらみかける今日この頃だ。
●論文の影響力を測る新しい指標は、インパクト・ファクターを超えることができるか?
 http://www.editage.jp/insights/can-new-measures-of-research-impact-replace-the-impact-factor

にも関わらず、私の海外の共同研究者は「●●という雑誌がインパクトファクターが
低いので別の雑誌に投稿したい」だとか、ある知人は「インパクトファクターの高い
雑誌に××さんの論文が掲載された、凄いねぇ」などと言っている。
君たち、ちゃんとその雑誌読んでる? 誰がどんな研究をやっているか、
それが国際的にどんな価値があるか、研究の中身を理解して評価しているの?
(といいつつ、生徒の「成績」だけで合否を判断する大学もいかがなものか、
 と言われそうですな、、、)

ここまで読んで「おおげさな」と思う方。このインパクトファクターに基づいて
いま大学や研究所の評価がされており、研究者の人事や予算もこの数字如何で
変わってくるということもご存知だろうか?(さらにこれらの数値は欧米の
とある民間会社が独自の方法で算出しているに過ぎない)
インパクトファクターに過大に重きをおいている我が国の科学評価体制は
相当危ういと私は思っている。インパクトファクターなどは所詮評価の一つ。
数字だけでなく中身を評価できる体制が必要なのだ。とはいえ、研究者は論文を
バンバン書いて、成果を社会に公表・還元せねばならないことに変わりはない。
がんばりましょう(いまも1本、論文を修正中です~!)

※インパクトファクター信仰の問題点は下記でも指摘され続けています。
●インパクトファクターとは何か:正しい理解と研究への生かし方
 http://mlib.kitasato-u.ac.jp/homepage/seminar1.html
●The maze of impact metrics
 http://www.nature.com/news/the-maze-of-impact-metrics-1.13952
●インパクト・ファクターがすべてか?
 http://www.editage.jp/insights/is-impact-factor-everything
nice!(3)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 3

コメント 3

それはいい過ぎ

>おそらく同じ事がどの科学分野、どの雑誌でも行われている。

私は国際誌の査読者も編集委員もやっていますが、それはいい過ぎです。そもそもインパクト・ファクターを計算しているトムソン・ロイター自身が、研究者個人や論文そのものの評価に用いないよう警告しています。ところが「大学や研究所で働く科学者にも『成績』がある。 「インパクトファクター」と呼ばれるものがそれにあたる」といった誤解が広まっているため、一部の不心得者がそれを悪用するのです。「信仰の危うさ」を改訂利本人が信仰告白してしまっています。腐った研究分野なのでしょう。
by それはいい過ぎ (2015-12-10 17:28) 

MANTA

「それはいい過ぎ」さん、コメントありがとうございます。
ご指摘のうち「どの雑誌でも行われている」はたしかにいい過ぎ
でした。上記記事を一部修正しました。

私も国際誌の査読者や編集者をやらせて頂いています。
もちろん「私の論文を引用しろ」だとか「この雑誌を引用しろ」だとか
著者に対してやったことはありませんし、やる気もありません。

でもね、そうでない雑誌(しかも一流と言われるもの)もあるのです。
そしてそれらの行為は普通オモテに出ません。私の体験が
「一部の不心得者がそれを悪用する」事例であればよいのですが、
氷山の一角ではないのか?と危惧しています。貴殿の文章にも
誤解が「広がっている」とあります。なのに「一部の不心得者」だけ
と軽視して良いのでしょうか?

>「信仰の危うさ」を改訂利本人が信仰告白してしまっています。
(改訂利 → 書いているの誤字かと思われます)
上記の通り、私は信仰していません(むしろ嫌い)。「引用しろ」と
言われて、「いやだ」と主張する勇気を持ち合わせてなかっただけです。

>腐った研究分野なのでしょう。
どの科学分野もいま同じ問題を抱えていると思います。

by MANTA (2015-12-11 12:21) 

MANTA

追記:参考となるサイトがありました。
●くたばれ「インパクトファクター」、くたばれ「科学の商品化」
 http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20141015/1413332010
●「インパクトファクター至上主義の弊害」の根は深い
 http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20141016/1413415047
by MANTA (2016-01-10 09:52) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

大気海洋研究所忘年会 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。