SSブログ

大学にとって「必要なこと」とはなんだろうか? [ 科学コミュニケーション]

久々にブログを更新します。
今月は海底観測装置の整備にはじまり、東北での野外観測、学会発表、
論文執筆(まだ終わってない…)、論文査読などなどで慌ただしく過ごしていました。

さて先日、とある会合で、とある先生が大学の「現状」を次のように語っていました。

 - 理系の研究者は「社会に役立ちますよ」といって予算を獲得するが、オモテの
  目標はほどほどの達成度ですませておき、そのウラで本当にやりたいことを
  好きにやっている。

 - 文系の先生は逆に「ならば私達は社会に役立たないことをやるんだ」といって、
  武士も食わねど高楊枝(社会からの乖離)。

 - 大学にはもはや(昔から)輝く何かなどない。社会がただ期待しているだけだ。

うん、思い当たるフシはなきにしもあらずです。
例えば、研究成果を出すには実験や観測、理論の構築が必要です。まとめられた
調査結果は論文になり、学術誌に掲載されて、やっと陽の目を見ることになります。
しかしそれには時間がかかる。
データを揃えるのにまず時間がかかりますし、論文を雑誌に投稿してから掲載されるまで
も時間がかかります。多くの場合、研究プロジェクトが終わってから、研究成果が出始める。

なので、理系の研究の場合は研究プロジェクトの遂行と、研究成果の発信がズレズレに
なることはしばしばです(下図は例)。
seika.JPG
 ※成果発信の一部はプロジェクト実施中に始まっています。

しかし、これを「オモテ」とか「ウラ」とか言うのだろうか? と思います。
(オモテ=プロジェクト実施、ウラ=その後の自由な研究)
あるいは文系の先生は本当に社会から乖離してしまっているのでしょうか?
これも一部の例を見ているだけのように私は思います。

そして大学には輝くものなどないのでしょうか?
少なくとも私自身は、私を指導してくださった先生方が輝いていたから、
大学に戻り、教員になりました。

いまの大学の教員は輝いていないのでしょうか? そうかもしれません。
予算が獲得できず、研究も進まない。研究時間(人生の残り時間)は刻一刻と減っていく。
笑顔を忘れることもあります。そんな先生をみて育つ学生は「研究が楽しい」とは決して
思わないでしょう。それに気づいた私は、最近は無理やりにでも笑うようにしています。
そりゃそうです、どんな状況でも研究をすることは楽しいですから!

いまの大学に問題があるとすれば、どこに病巣があるのでしょう?
・大学の運営陣でしょうか?
・大学の個々の先生でしょうか?
・国ですか?
・それとも国民でしょうか?

上記の批判をされた先生に聞くべきでしたが、何に対するどんな批判であり、
どこをどう変えていきたいのか(あるいは変える必要はない、大学は潰すべきだ
というお考えだったのか)、私自身で噛み砕くことに時間がかかりました。
今度またお会いした時に聞いてみたいと思います。


 大学とはどうあるべきなのか?

----
一つだけはっきりしていることがあります。
なんのアクションも提案もせずに、のうのうと研究できる天国のような場所は、
この国にはないということです。かつてのような経済成長や人口増加を維持
できないのですから当然です。

大学だけではありません。
例えば、いま「地方創世」が進みつつあり、地方から国への地方経済を活発にする
プラン提示が求められています。地方も口をあけて待っているだけでは生き残って
いけないというわけです。
●地方からの提案検討要請 石破氏、分権推進で
 http://www.sankei.com/politics/news/140926/plt1409260017-n1.html

これに対して以下の様な議論が巻き起こっています。
・市町村合併を進めて、地方交付税を圧縮する方策ではないか?
・一方で、地域主導のまちづくりを可能とするさまざまな法整備に結びつけていく
 ようなしたたかさと戦略が地方側にも求められている。
(下記を参考にしました)
●「地方創生」の背景と論点(全国知事会)
 http://www.nga.gr.jp/data/report/report26/14090102.html
つまり「要るものは要る」「でも無駄を省くことも必要だから、なぜ必要か言わなきゃね」
ということでしょう。

まったく同じことが大学のあり方にも言えるでしょう。
・大学の改革や再編は教育・研究予算を圧縮する方策ではないか?
・一方で大学には、教育・研究におけるしたたかさと戦略が求められている。
大学にとって必要なこととはなにか?それは外部へ説明可能か?ということを
大学はもっと考えねば、輝ける学府とはならないでしょうね。

----
追伸1:
ちなみに同会合では幸せの指標の話にもなりました。
「お金」「予算」というのが「研究の価値」の指標になりつつあるという現状に対して
それで本当に研究者の幸福度や達成度が測れるのか? という意見がでました。加えて、
「例えばFacebookのいいね!やリツイート数のような新しい指標が必要だ」という意見も。
それに対して、「そうだ!」という声や、拍手すら沸き起こる。
うーん、でもね、なんかの指標で研究成果や幸せ度を測ろうとする行為そのものが
すでに矛盾している気がするのは私だけかなぁ?
「研究者自身が幸せだと思えれば、それでいいのではないだろうか?」
幸せな研究者を見て、研究者をめざす学生が生まれる。
絵に書いた餅かもしれませんが、それが私の理想です。

追伸2:
忙しいのにこんな会合に出ちゃうから余計に忙しくなる。自重しよう。

nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

遠く、西の海での成功を祈る木曽路 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。